児玉鍾馗

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児玉 鍾馗(こだま しょうき、1992年12月1日 - )は、大阪府大阪市出身の調理師プロ野球選手投手)。右投右打。イケメンズ所属。

イケメンズ #8
INIESTA
基本情報
本名 児玉鍾馗
別名 ハレンチ・エクスプレス
国籍 Jpn.png日本
出身地 大阪府大阪市
生年月日 1992年12月1日
選手情報
投打 右投右打
ポジション 外野手、投手
入団 2014年12月
登場曲 TOKIOAMBITIOUS JAPAN!
経歴
城北高等学校
静岡大学
東京都庁

経歴

幼少期

大阪厚生年金病院(現・大阪病院)にて出生。父親は大阪市内で段ボール製造業者を営んでおり、出生時は段ボールの保護性能に因んで護(まもる)と名付けられた。

就学前は保育園に通っていたが、保育士への行き過ぎたセクハラが原因で、3度の転園を経験している。

90年台後半より、中国製の安い段ボールが市場に流入し始めたことから、実家である会社の経営状態が悪化し、2003年に廃業。一家で東京への移住を決断した。

城北学園時代

城北中学校へ入学。入学から半年後、名前に「ま」が連続しており語感が悪いとの理由で、道教信仰の強いクラスメートの鶯谷鶯平の影響を受け、道教の神である鍾馗に改名。

ハンドボール部と水泳部を兼部し、精力的な活動を送っていたが、2年時に参加した板橋区主催の水泳大会での重大な規約違反により、以降水泳大会への参加を禁じられ、水泳部を退部している。

中学3年時まで電車通学を行っていたが、日増しに強くなる痴漢の衝動を抑えられないという理由で、高校入学と同時に自転車通学に変更している。

得意科目は保健体育であり、健康な生活と疾病の予防について著した作文が東京都の作文コンクールで銀賞を受賞している。

東京農工大時代

産婦人科医を目指して医学部の受験を検討していたが、高校3年時の担任教師に農業を勧められ、東京農工大学へ進学する。大根を持ってチアダンスをするという入学時の目標があったが、それを行うのは東京農業大学であると知り、大きなショックを受けたとイケメンズ入団時のインタビューで語っている。

学生プロレスのサークルに入り、ヒールレスラーとして4年間活躍した。

イケメンズ時代

2014年12月、中学3年時のクラスメートである小川克巳に招集され、イケメンズの旗揚げ公演(第1回オールスターゲーム)に参戦。以降、イケメンズのレギュラーとして多くの試合に出場を果たす。2015年および2016年度のゴールデンボール賞(左翼手)を受賞。

特徴

出場する度に能力を上げる驚異的なセンスの持ち主。決して経験が深くはなかったものの、守備能力を短期間で大きく向上させ、ゴールデンボール賞を二度獲得している。

打撃の上達も著しく、2016年には打率2位、2017年には打率4位および打点王を獲得している。

投球に関しては、全くの素人であったにも関わらず、持ち前の器用さで自らのピッチングスタイルを確立し、年々登板回数を増やしている。敵側として出場した2016年の特別試合「イケメンズvs農工プロレス」では、イケメンズを6回無失点に抑える好投を記録した。

入場曲はTOKIOの『AMBITIOUS JAPAN!』(2003年10月1日の東海道新幹線品川駅開業・及びそれに伴う東海道・山陽新幹線のダイヤ改正キャンペーンの東海旅客鉄道(JR東海)CMソング)。大阪から転居する際、実家が伊丹空港に近かったことから、東京への移動手段は飛行機を予定していた。しかし、このTOKIOによるキャンペーンCMを通して新幹線にロマンを感じた児玉は、家族に東海道新幹線の利用を進言。新大阪駅を出発し、開業したばかりの品川駅までのぞみで移動した。

人物

精神科医の小川克巳によって、性的衝動の強さを指摘されている。

詳細情報

年度別打撃成績

規定 安打 打率 出塁率 打点 盗塁
2015 - 1 .111 .273 0 0 0
2016 7 .269 .387 0 1 0
2017 9 .281 .378 0 0 1
2018 4 .129 .250 0 4 3
2019 3 .091 .286 0 0 2
2020 . .
通算 26 .184 .320 0 7 7

太字はチーム内最高

  • 2019年度シーズン終了時

背番号

  • 8 (2014年 - )

脚注


関連項目

外部リンク